えのさんは1955年、和歌山県の新宮市に生まれた。新宮市は当時人口4万2千人、三重県との県境、熊野川の河口にある、いなかの割には活気のある町だった。
そこで、両親は10坪弱の「えのもと果物店」を経営していた。ちっちゃい頃からえのさんのやんちゃは変わらない。いたずらがすぎて両親は、近所に謝ってまわる日々だった。
小学校にあがる頃から、えのさんはおかあちゃんの手伝いで店番を始めた。ここがえのさんの商魂を鍛える道場になった。3年生くらいになると、ひとりで店番ができるようになった。おかあちゃんは夕方になると、おとうちゃんの食事の世話をするために、500メートルほど離れた自宅に帰っていた。その間、えのさんはひとりで店番をすることになる。
新宮駅はゲームの桃太郎電鉄にも出てくる国鉄の拠点で、大阪行きの始発駅になっていた。えのもと果物店は駅前にあって、夜10時40分の最終夜行列車にのるお客さんが終わったら店を閉めていた。おかあちゃんは9時頃店に戻ってきて、えのさんは、閉店までいっしょに手伝った。
えのもと果物店の脇の路地を入ると、飲み屋街があった。夜になると酔っ払いのおっさんとホステスが店の前を通る。気前の良さそうなおっさんがええカッコして、ホステスにくだものを買ってあげる。えのさんは愛想良くしてると、おつりをこずかいにくれることが良くあることを知っている。一日20円だったこずかいから考えると、もらったおつりはけっこう大きい。
なかには横柄なおっさんもいたが、商売人のチビえのさんは気にしない。くだものを買ってもらったホステスが、客を見送った帰りに、「バカなおっさんだね」ってえのさんに笑いかける。世の中の裏表を日々、当たり前のように見ながら育っていった。
2006年12月11日
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/29446408
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/29446408
この記事へのトラックバック


こんな事してたかも、とドキッとして、
「バカなおっさんだね」
で、ガクっと落ちた(苦笑)
同じく自営でしたが、僕の実家は陶芸家で、対面小売りでありませんでした。だから、えのさんの様な体験は無いです。その代わりに!?粘土で色んなものを作ったりしました。今のクリエイティブに活きている感はしますが、幼少期の体験で大きく変わるよなぁ...と感じました。
でも、商売人に憧れます(笑)